ふと思った「頑張れ」って言われて頑張れない問題について考える

お疲れ様です。

とうとうRebless止めようと決めました。

格ゲーや作曲しながらプレイ出来ないことと、話題の共有が出来ないことと。

ゲーム自体はいいんですが、プレイスタイルに合わないだけ。残念。

スマホで出来ればブレイブガールレイヴンズみたいに暫く続けたかもしれないけど。

 

ストライクゾーンが狭いもやしです。
インプットの幅が狭いのは、作る人として良くないなあ、と思いつつ。
時間と気力というのは面倒なものです。

 

「頑張れ」ってなんだ

メンタルヘルスマネジメントの勉強をしていたらふと気付いた話。

「頑張れって言葉は人によって負担に感じる場合もあるので気を付けましょう」と言うのはよく聞きますが。

よく考えたら自分のこれまでの人生、頑張れって言われて頑張る気になったことがない。
自分の感覚で言えば、「頑張れって言われて頑張れる」のはマンガやアニメ、ドラマのような、フィクションの話に感覚が近い。

 

あれ、そもそも頑張れって言われて頑張れる人って存在するのか?

そもそも「頑張れ」ってなんだ?(哲学)

 

というわけで、「頑張れって言うこと」についてちょっとだけ考えてみる。
それくらいネタが無い。

 

効能

創作物や人から話を聞いたりしていると、「心が折れそうな時」は効果が期待出来そう。

しかし心が折れた後だと完全にダウン追い打ちになる可能性が高いため、その辺の見極めが必要か。
(これは完全に体験談ですが)

 

その辺を考えると、やはり頑張れが負担になるのは「もう頑張ってる」「これ以上頑張れない」など、頑張ることが負担になる状況なのかな、と。

その理屈で考えると、これから始まるぞって時の頑張れは、激励の効果が見込めるわけになる。
実際、こういった場面で使われるケースも多いように感じる。

 

場面別に考える

仕事とかの場合、前述のように「結果が出ない人」や「頑張っている人」に対して発すると、かえってメンタルクラッシュしてしまう可能性が高いと考えられる。

逆にプロジェクト開始時などには効果があるかもしれない。
それにしても当人の状況を鑑みて負担にならない言い方、タイミングを考える必要はありそうだけど。

 

スポーツなんかだったら「声をかけてくれる」「見てくれている」ってこと自体がモチベーション等の向上に繋がりそう。

だったら「頑張れ」よりも「名前呼び」の方が効果的な気がしないでもない。

 

結局、そんなにみんな考えてない

なんやかんや書きましたが、結構しんどい時に親に言われた言葉。

「みんなそんなに真面目に言葉受け取ってないよ」

「みんなそんなに考えて発言してないよ」

 

そんなもんなのか・・・とその時は目から鱗が落ちたものですが、今考えれば「そりゃそうだよなあ」と。

自分もそうですが、アクションを起こす時なんかは特に、みんな結構何も考えてない。

多分それでいいんでしょう。
だって楽だし。

それを良しとしないならば、勝手に考えておけばいい。
あんまり人に押し付けないようにね。

 

そんな感じ。

着地したような、出来てないような。
それでもいいか、みたいな余裕が出てきたのはいいんだか悪いんだか。

 

本日のBGM

Fairy Tale/ASPARAGUS x BEAT CRUSADERS

アコギの曲を考える時、アスパラ単体のモノよりもこの曲がリフリフしててイメージ出やすい。

あと木村カエラさんに提供してる曲とかもアレンジ面白くて参考になったり。

しかしPVかっけえなあ。

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