「作家は人じゃない方が都合がよさそう」みたいな話
お疲れ様です。
先日の原付の記事を公開したところ、ツイッターでめちゃめちゃ食いつかれまして、色々話を聞いた感じだとサクッと免許取って小型二輪(原付2種)を買うのがよさげ。
ホンダの伝記漫画を読んで育ち、S2000にシビれた少年としてはやっぱりホンダの車がいいなーとか考えて、モンキーかCBかで悩んでおります。
「費用溜まるまでどれくらい時間かかるかなー」とか「その前に引っ越しだなー」とか考えて今日も散歩していたら、目の前をトヨタ86が通りまして。
はあ~~~~~~4輪欲しい。
シフトがN入ってるか横にカコカコしたい。
金の稼ぎがいがありますねえ。
夢が膨らむもやしです。
由愛って先に出てきたんですが。性癖。
プリコネでクランバトルが始まりました。
どちらかというとクエスト報酬2倍キャンペーンを楽しんでおります。
緩いクランですので。
作家は可燃性が高い
最近に限った話でもないですが、作家ってよく燃えてますよね。
有名じゃないから良いものの、自分も結構発言がアレな時が多いのでビビりながら見ています。
「あなた悪くないでしょ・・・」みたいな時に色んな人に叩かれて謝罪している様を見ていると、「SNSこえーな」と思います。
もはやツイッターで考えや意見を呟かない方がいいんじゃないかって思ったりするくらい。
じゃあツイッター要らないじゃん、みたいな。
もはや広告ツールとして絵だけ上げて他メディアへの導線として機能してればいいんじゃないか、みたいな。
極端な考えをすると、作品に作家という属性が付くだけでツイッターするには不利じゃん、みたいな考えになっていって。
そういう意味では、もはや今のツイッターでは作品の宣伝をするのはbotに任せた方がいいのでは、とか思ったりして、ちょっとしたディストピア感があります。
作品と作家とのパワーバランス
何か創作をしている人が槍玉に上げられやすいのは注目されやすいからなんでしょうが、その理屈で考えると創作してるだけでツイッターにリスクが生まれるんですよね。
特にちょっと人気があるような人だと、「こういう作品を上げる人」という属性と、「こういう考えをする人」という属性がトントンになって、発言の影響が作品の評価に響きやすそうに感じています。
自分くらい日陰者なら「自分の動画や曲を聴いてる人なら自分の発言くらいで作品の評価に影響受けないだろう」みたいな勝手なクオリティフィルターがかかってる気がしていて。
逆にすごい人気な人だと、発言より作品の影響力が上回るからある程度何言っても作品への影響は少ないのかな、とか思ったり。
自分は「(触る気になるかどうかはさておき、)人間性と作品は切り分けて考えたい」人なので、それがきっかけで作品にケチ付けられるのってすごい嫌だなあ、とか思います。
忙しそうな週刊連載作家さんとかは結構SNSやってない方多い気がするのも、その辺が理由なのかもしれない。(単純に暇がないだけかもですが)
とかなんとか言いつつ、(触るかどうかはさておき、)があるので、自分もやはり俗なのだなあ、とか。
別に高尚な生き方する気もないんですが。
そんな感じで。
作家の口の悪さで損している作品って結構あるので、なんかやだなあ、と思うのでした。
気が付いてないだけで、実は自分も損しているのかもしれませんが。
まだ気付いてないからよし、ということで今回はこの辺で。
本日のBGM
踊る脳 – MONOBRIGHT
2ndアルバム「monobright two」より。
すごく脳への刺激が強そうなPV。
こういう変なダンスロック好きなのですが、最近はそういうのよりもオシャレな方が流行りですよね。
この曲自体、ダンスチューンの流行る直前くらいの頃の曲だったので時代なのかもしれない。
このアルバム、ギターの弦1本1本がしっかり聴こえる感じとか、リズムの音域にスキマというか空間を感じるのが非常に好き。
telephonesとかもそんな音作りだった記憶です。
その辺の頃に聴いていたバンド、全体的に最近のCD追えてないですねー。
と思ったら活動休止とか解散とか。
時代なー。
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