VTuberとエンタメにおける属人性の話
お疲れ様です。
週末に起きたショッキングな出来事からイマイチ抜け切れていなくて、色んな不安を埋めるように色んなコンテンツを貪っています。
ゲームやら動画やらツイッターやらラジオやらニュースやら。
結果、寝る時間が遅くなっています。
「不安だなあ」から抜け出すのってなかなか難しくて。
だいたいは時間が解決してくれるのを待つのがベストだったりするのですが、実際不安な時に何もしないってすごく不安になりますよね。
這いずり生きてます、もやしです。
一瞬死が見えましたが、流石に今更降りる気はないです。でもそれくらいショッキング。
VTuber、人気ですね
一昨年末にキズナアイが登場してから、VTuberの盛り上がりがどんどん加速していってますね。
自分の中ではキズナアイブームが一度終わっていましたが、最近月ノ美兎のおかげで貪りモードに入っています。
最初は単純に技術的な興味だったのですが、最近はコンテンツとしてどんどん尖っていってるものが増えてきていますよね。
特に元々技術屋だった人がやってるものは、技術の成長と人間の尖り方が如実に出てる感じで好きです。
しかして「VTuberであること」が面白いというわけでもなく。
同じ人のコンテンツの中でもハマるものとハマらないものがあるんですね。
最初はよくわからんでしたが、色んなラジオも聴きながら思ったのが、自分は「台本っぽいもの」があんまり好きじゃないのかな、とか。
もちろん台本的な部分の中にも面白いものは間違いなくあるのですが、傾向としては「脱線してる部分」や「個人の素が出ている部分」が好きらしい。
台本的な部分って、極端な話「その人じゃなくていいじゃん」みたいな部分があるのかな、とか思いまして。
自分の好きなゲーム動画コンテンツの「属人性」について考えてみることにしました。
ゲーム動画の属人性
コンテンツの属人性、と言っても色々あるわけですが、ここでは「フォーマットに対する個人の介入度」として考えてみます。
例えばゲーム動画の場合。
プレイ動画<字幕動画<(biim式<)ゆっくり(ボイロ)実況<生声実況<3Dモデル実況<顔出し実況
みたいな感じで属人性が上がっていくわけです。
biim式動画はある程度のコンセンサス(共通認識)の上で成り立っているコンテンツで、1ジャンルとして扱うべきか難しいですが、この条件ではめ込むとしたらここかな、と。
3Dモデル実況の中にはゆっくり・ボイロ実況もあったりするので一概には言えませんが、それを「選択できる」という点でこの位置にしてみました。
やっぱり「動きを表現できる」という点で、プレイしている人が見えるものは、ただゲームをプレイしているより属人性が高いですよね。
前述の属人性の低すぎるコンテンツに対する「別にその人じゃなくても」の感じやすさはある程度この順序で並んでいる気がします。
(この観点で言ってもbiim式は扱いが難しい。RTA要素があるのである程度属人性が上がることと、アップロードする人が個性を出そうとしている比率が多いという点がある気がする。ニッチコンテンツ的な先鋭化が表れているのかも)
しかし、かと言って「属人性が高ければ面白いのか」というわけでもなく、この辺は好みだったり、時代の流れになってしまうのかな、と。
例えば顔出しの実況動画が万人に対して刺さるのかというと、そうでもなく。
顔が出ていることに対して、ある種の「気持ち悪さ」を感じてしまう人もいるわけで。(自分も少なからずそういう部分がある気がする)
ふたばや2chから続く匿名文化に慣れ親しんでいる人からすると、「奥にある人間」の存在が楽しむ上でのノイズになってしまうということがある気がする。(クソコテとか)
流行り出した頃のニコニコも投稿者が分かりにくい等、個人を認識しづらい作りになっていましたし。
また、属人性の高いジャンルの中でも個性を消そうとする人は少なからずいますし、逆に属人性の低いジャンルの中から個性的な動画を上げ始めて、それが新しいジャンルとして確立されることもありますし。
話は変わりますが、テレビやラジオ(特にゴールデン帯)についても、演者の個性を消して演出する場合が少なくない気がしますし。長く続いているコンテンツジャンルでそういう形が落ち着いている以上、それもなんらかの意図を持った結果なのかな、とか。
有象無象の中でコンテンツを作る
そういった状況の中で、伸びるコンテンツを作りたい場合、やっぱり個性の強い(=属人性の高い)コンテンツを供給するしかないのかな、とか。
これは元々の考えですが、コンテンツが溢れている現状で、頭一つ抜ける方法って「速さ」か「量」か「継続力」か「個性」だと思っていて。
例えば「速さ」は技術的に、時世的に新しいことが出来るようになった時、真っ先にそれを実行することとか。ゲーム動画とかだと新作を一番最初に動画にする人は再生数伸びますよね。
例えば「継続力」は、昔から長くやっている人はそれだけ従来のフォロワーがついたり、みんなが飽きても最後まで続けている人はそのジャンルで唯一の人として人が集中しますし。
で、このご時世で一番手っ取り早いのが「個人」なのかな、と。
個人って滅多なことが無い限り真似出来るものではなく、属人性という点において最高のコンテンツだと思いますし。
逆に言っちゃえば「個人」を尖らせることもまた難しくて、それ故に炎上商法と言われることが起きたり、逆に伸び悩む有象無象が大量発生してしまったり。
そういった個人というコンテンツを、見せることが出来る形に整える(若しくは極力整えない)のが、コンテンツ競争の要になるのかな、とか。
なんだか結論がテレビ的な感じありますね。
そこもまた、舵を取る人の匙加減、バランス感覚に依存すると思うので、そういう意味では個人なのかな、とか。
そんな感じ。
話がいつもまとまらないのは、思い付きで書いているから。
ちゃんと纏まってる話を知りたければ、探してみると意外と出てくるもんですよ。
謎の誘導をして今回はこの辺で。
本日のBGM
Hungry Freaks, Daddy/Frank Zappa
時々ずっと、聴きたくなるなるフランク・ザッパ。
自分の中で「プログレ感」って「意味わからなさ」だと思っていて。
そういう意味でフランク・ザッパって飛びぬけていると思いますし、たまに聴きたくてしょうがなくなる時があります。
これもまた属人性が高いってことなんでしょうか?
難しいこと考えた後は聴き方も難しくなりますね。もっと気楽に考えていいよ。
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